『チョンティチャ』

福田芽衣監督ロングインタビュー

      

—『チョンティチャ』はどのように誕生したのですか?

 

福田「チョンティチャは別の子の企画で、私は脚本なんですよ。高橋チョンティチャってカメラマンでいるんですけど。タイ人とミャンマーのハーフで生まれて日本でしか暮らしたこと無いって経験談だけだったので、どうやって脚本にしていけばいいんだろう?ってなりましたね。私が監督やることになってそこから脚本に起こすときに、状況しかプロットになかったので、それまで2週間しかなかったんですけど、8月頭に合宿があるので、脚本バーっと書き上げて。それを合宿で撮ってみてって感じ。」

 

—状況だけで物語は福田さんが書いたと?

 

福田「元々書いてはあったんですけど、それでは私が撮れないって思ったので。自分の感覚を入れ込めないので、私が監督する意味がないって思って。だったら、ちょっと取材をして、そこから自分の感覚に引き寄せてやってみたらこうなった感じですね。実際に途中から日本人のお父さんが出来てっていうのも事実です。元々チョンティチャ自身が高橋って姓がついてない状態で高校まで過ごしていて、チョンティチャだけだったんですよ。名簿とかも高橋とかついてなくて。で、帰化申請をするときに高橋もつけて」

 

—モデルになった高橋チョンティチャさん本人はどんな方なんですか?

 

福田「チョンは、逆に芯が無いような感じがするんですよね。ミャンマー人とタイ人のハーフに生まれてずっと日本に暮らしてきたって感覚が分からなくて。チョンに色々話を聞いているときに、その時のこととか覚えてないのって聞いても、『いやどうだったかな。私何も考えないように生きてきたからな』みたいな。こいつに悩みは無いのかっていうくらいだったんですよ。でも、あまりに考えないように生きてきて『波風立てたくない』って作品にもあるんですけど、あっけらかんとしてるんですよ。」

 

 —チョンティチャ役の長月さんってどんな方ですか?

 

 福田「あの人もちょっとおかしい人なんですよ。掴みどころがないっていうか。24歳でしかも大人っぽい顔もしてるから、この人ダメかなーってちょっと思ったんですけど、飄々と喋るので、何も悩みがなさそうに見える人、強そうに見える人、芯があるように見える、でも実際頭の中ごっちゃごちゃな人な気がして。それはもうチョンティチャとも似てるし、私とも似てるし。役者としてはじめての主演って言ってたので、そんなに経験多くはないと思うんですけど、役者さんとして魅力的だなーって思ったような気がします。オーディションのときは受かるためにちょっとだけ子供に寄せてました。ちょっとだけね。」

 

—役者さんの国籍は?

 

福田「全員日本人なんです。実際にタイ人の方をキャスティングしてやっていくべきだったんですけど。撮影期間のこととか考えると現実的じゃなくて。下手くそでもいいから、やってもらえることがいいんじゃないかとも思ったりしたんですけど、結果的にタイ人っぽい人に見えればこのお話は成立するのかなとも思うし。でもそこは苦渋の判断だったような気がします。」

 

 

—蝉が何度も登場しますが…

 

福田「私達取材のときに蝉食べて、上手いんですよね~。食用セミなんですけど食べて、『美味いなこれ。美味くない?』って言ってみんなでおやつに食べてました()ミャンマーの家庭料理で、蝉を食べる風習があってそれがきっかけでチョンもプロット書いたんですよ。『ウチのお母さんセミ食べるんすよ』って。だから絶対セミは必要だし、セミ食べるだけじゃ面白く無いから、私のセミに対する感覚、『ああ夜セミ鳴いてるやついるなー』あ、じゃあどういう気持ちで生きてるんだろう?って感じに思っちゃって。セミと意思疎通してました」

 

—長月さんはセミ大丈夫だったんですか?

 

 福田「最初触るときはぎこちない感じだったんだけど、多分嫌なんだろうなって思ってたんだけど、段々、セミに名前を付けてて、何匹か連れてくるんですけど、やっぱり7日間経たないでお亡くなりになられちゃうので。何匹か連れてきてこいつは一郎で、こいつは何々で、って付けてたら段々愛着沸いて、戯れてくれるようになりました。」

 

—神社とかのロケ地ってどこだったんですか?

 

福田「全部あきるの市です。なんか家を探しているときに、地域の小さな不動産に行って、小さい家をお貸しいただけることになって、その家主さんのところに挨拶に行ったら、『神社探してるんですよねー』みたいな話になって、『神社持ってるよ』えー!ってなって。『今から見に行く?』ってなって行かせてください!って。」

 

—撮影中最も苦労したシーンとかありますか?

 

 福田「結構どのシーンも大変だったけれど。一軒家を1ヶ月賃貸で契約してあそこに15から20人くらいで共同生活していました。あそこ住み込みで撮ってたんです。20日間くらいかな。クーラーとかもないから、扇風機で『あっつー』とか言いながら。めっちゃ狭いんですよ。みんな雑魚寝だし。私も疲れすぎて1階の男たちの部屋でケーブルを枕にして寝るとか。最終日とかも、フラッフラで撮り切って。みんな打ち上げとかしてるのに、私は倒れてました。」

 

—実際に監督をしようと思ったきっかけって何ですか?

 

福田「元々監督になるつもりはなくて。映画が撮りたい、映画が作りたい。ってホームページが調べたら一番上にあった専門学校に行って、東放学園なんですけど。あ、私撮るべきものが無いと撮れない、だったら自分が監督すればいいんじゃないか。撮りたいものがあるなら監督になるのが一番手っ取り早い。多分これからもそういう感じだからコンスタントに映画撮り続けるって感じだと思います。自分の作品ってなるとやっぱり監督しないと自分が、ってなっちゃうので。カメラマンとかにはめちゃめちゃうるさいって思われてると思います」

 

—監督を辞めたいと思ったことは?」

福田「毎日ですよ多分。もう考えることやめたいってなっちゃうんですけど。やっぱり卒制のときは、自分が分からない分からないっていう状況に陥ってたから、特に逃げたい、撮りたくないって言ってました。」

 

—尊敬する監督は?

福田「私と撮ってる映画と全く違うから本当に?ってなるけど。まず好きなのは園子温さんと、岩井俊二さん。三木聡さん『インスタント沼』『亀は意外と速く泳ぐ』。コメディの監督なんですけど、バカバカしい中に何か面白いんですよね。」

 

—制作前後の心境の変化って?

福田「前より失敗がそんなに怖くなくなったのかもしれない自分の感情じゃないものを描かなければいけなかったからこそ、たぶん失敗はいっぱいしたと思います。私はこう見られたいみたいなものが確かにチョンティチャを撮る前はあったと思うんですけど、それもなくなって、どう見られてもいいやって思えるようになったかな。もっと自分の色出せばよかったなってチョンティチャでも思うし、だから次やりたいことが増えたっていう感じはします」

 

—次回作について教えて下さい。

 

 福田「『19歳が女の2回目の変わり目だ』っていう考えがあって、19歳の女の子の物語を、男女についての考えが変わる19歳の時期にそれを撮って、20分くらいの作品。映画見てても自分に何か共通するから感動する。他の人の人生を見てても感動するんですけど、何か自分に入り込んでくるから感動する。だから自分の中の経験からしか描けない。自分の父親が自殺未遂をしたことがきっかけで家族ってものを考えるようになって。ああ、じゃあこれは映画にするべきなんじゃないかなって思って、今書いてるんですけど。って言わないと私(笑)自主制作で。」

 

—東学祭に通った時の気持ちは?

 

 福田「結構落ち込んでるときで、チョンティチャがどの映画祭でも通らなくて悶々と悩んでいるときにちょうどメールが来てて、やっと始まったよーって。安心と嬉しさはもちろんあったんですけど、怖いなとも思いましたね。自分の作品を観られると思うと拙い自分を見られるって恐怖もあったし。こんなもんじゃないって言いたいけど、今の自分はこれだし。みたいな。何か見られるってことに対しての興奮、とにかくいろんな人の感想がもらえることが嬉しいって思いました。」